3.11以降、余震や原発の状況から恐怖や不安に、心身を削られた気がする。三半規管が弱いことなどもあり、特に最初の一週間がひどく、自分でも驚くほどに食事も睡眠もままならなかった。今はそこから考えるとだいぶ取り戻してきたように思う。その過程において色々考えたこと、気持ちの整理に役立ったエントリなどを少しだけまとめてみようと思う。

まず、この恐怖や不安というものを地震と原発で分けて考えてみた。

1.地震に関して

阪神・淡路大震災を中学生時代に経験していることが頭か体かどこかに刻まれているらしくだいぶ記憶から薄れてきていたものを思い出させられたように感じる。あの時いつも使っていた最寄りの駅が大きな被害にあった(上記写真)。そのイメージがある中で今回、移動中の地下鉄の中で地震を経験し、その後30分くらい動かない地下鉄の中にいたことが”電車”という乗り物全般に対する恐怖を構成したように思う。ただ、では怖いからいつまでも乗らないのかと言うとそれは選択できるわけではないのも事実で、すぐに乗り始め毎日通勤で乗っている。多少緊張感が高いのはまだ続いているけれど、仕方が無いと割り切ることにしている。

もう一つは、東京や東海にいずれ来ると言われている大地震。これがいつ来るのだろう、そして来たらどうなるのだろう、というのが不安材料なのだと思う。特に今回の東京は5強の震度で完全に交通も通信インフラも人心も麻痺したように思うので、これ以上の規模に耐えることは出来ないのではないかという不安がつきまとった。さらにその反省や対策も今日現在、原発の報道により置き去りになっていると思う。

2.原発に関して

恐怖や不安というものについては、地震よりこちらの方が大きいように思う。その原因を考えると自分の場合はざっくりまず二つ。一つは原発の事故の被害というものがどういうものになるかが分かっていないこと。分かっていないのに、怖く感じるのは、原発と核を分けて考えれていなかったこと、それらが持っている負のイメージが、広島のキノコ雲、チェルノブイリの爆発の写真だったということだと思う。それらの影響が直接及ぼす物理的な距離とか人体への被害など、そういう具体的な数字やデータを抜きにして、まず爆発=怖い、になっているのだと思う。

もう一つは、怖いくせに、元来の好奇心が反応してしまったということ。何が起きているか、何が起きる可能性があるか、ということをとにかく収集しようとしていたように思う。例えばTwitterで「原発」や「溶融」「メルトダウン」などの単語で検索し続けていたり。その中で得られる情報は”最悪の情報”が中心で、それを知れば知るほど怖くなっていったように思う。さらにその情報を”真”とした場合に、そこを避けて報道し続けているように映る政府や東電の発表、テレビの報道が”隠蔽”に感じ、得体の知れない恐怖を増幅させていたように思う(事実、そういうのがあるとも思うけれど)。放射線や放射性物質が目に見えないものだから余計にそうなっていくのかもしれない。そして、小さな子どもを持つ親として、水や食物への影響が出てくるとどうやっても自分の中ではうまく消化は出来ない。こればかりは今も変わらないわけだが。

だけど、じゃあ今この問題に対して何が出来るのか、と言うと何も出来ないのではないかと思う。そこまで行き着くのに結構時間がかかったが、結局最初にやったことは辛いときはテレビを見ない、Twitterを見ない(そもそもTwitterに関しては自分でフォローして構成しているTLなので流れる情報は流した人ではなく、自分次第なわけだが)ことだった。インプットを遮断したり、ラジオで音楽を聴いたり、息子とマリオカートをしたりして気持ちを落ち着かせることから始めたように思う。

3.とりあえず(4/3時点)

結局、どちらの問題に関しても自分だけで出来ることがほとんどないということが今のところの解。ただ自分の場合は”東京を離れること”を一度考えてみたことと、それに対して”離れず残ったこと”、そして元々年始くらいからあった予定通り”東京を少し離れたこと”で納得してから高知に行くことが出来、リフレッシュが出来たことが大きかったかな、と。疎開ムードで”逃げる”という気持ちを全面に持って行くと戻るタイミングは掴めないし、離れていても苦しいのかもしれない。ただ不安な気持ちに対して、短期間でも離れてみることは有効だと思える。

今はTwitterもニュースも以前と同じレベルで追いかけられるようになった。今のところは子どもへの影響を考えて、天気予報や風向きを少し気にしているくらい。あとはTLやブログで自分が元々(3.11以前から)尊敬出来る、信じられると思っていた方たちの情報を信じてみるということにした、ということだろうか。

4.整理に役立ったエントリ

この3週間、これまで出会うことがなかったようなサイトやブログの記事をたくさん読んだ(結局それが自分を追い込むことになっていったけれど)。その中で読んだことでスッと力が抜くことが出来たのが、ほぼ日刊イトイ新聞での糸井重里氏のダーリンコラム<怖いものの順番。>。自分と同じような考えが書かれていて、これを読んで一気に気持ちの整理を進めることが出来るようになった気がする。このエントリもこのコラムを読んでからめとめることが出来た。

そういうぼくですが、「怖い」気持ちと「好奇心」は、どんなにがんばってもなくせない、と思って、そのときそのときの「怖い」の正体を、じぶんに問いかけてみるのです。

「なにが怖いのだろう」と、考えてみます。

考えると、いまの「怖い」気持ちというのは、いくつもの要素のからみあったものだとわかります。

あとは、切込隊長BLOGの2つのエントリ。3/26付の「赤ちゃんの顔を見ながら、仕事と家庭の両立について思う(雑感)」と3/31付の「東日本大震災の気分的総括について」など。

なんだ、地震とか全然関係ないじゃないか。どうやって環境に適応していったらいいのか、変化に対応するのかを突き詰めていくと、最終的にはいまある自分の立場や役割をきっちりと認識して、より良い仕事人や家庭人になるしかない。
 地震があろうがなかろうが、生き残った人間ができることは頑張って生きていくこと以外にないのだな。でも、たぶん家内と結婚して家庭を持ち子供が出来て、こんな幸せを味わうことがなかったら、そういう考えを持つこと自体がなかったのかもしれない。さっき、一歳半の長男が、生まれたての次男用のペットボトルを積み木がわりにてこてこ組んだり並べたりしているのを見て、家族というのはこんなにもかけがえのないものなのかと改めて知った。

もし同じような災害に遭って、愛する家内や私の息子たちが冷たい波の下に沈んでしまったら私の人生のその後何を糧に暮らしていくのかとかいう、意味はないけど拭い去れない「たられば」の不安と、私たちが営々と築き上げてきた我が国の社会における信頼や価値というものが震災復興の困難な長期化によって崩れ去ってしまうのではないかという不安、また、戦後と同じように復興していけばいいじゃないかという楽観論の裏側にある若者が少なくなっていていまの社会に復興させられるだけの活力が残っているのだろうか、私たちは次の世代にきちんとした社会を引き継ぐことができるのだろうか、という不安、などなど、結構複合的なものが来ているのです。

5.その他

その他になんとなく腑に落ちたのがLife is beautifulというブログの「エンジニアから見た原発」というエントリ。コメント欄で反論も多数起きているが、結局言い出したらきりがないというのもあるのかもな、と。そして、自分のような素人がこの数週間だけの俄知識で不安がっても、”知ったか”なんだなと。いずれにしても原発に対する見方は賛成と反対でいくらでも、”たられば”を出すことや揚げ足を取ることが出来、そのいずれもが一定の煽りになっているのかな、と。どちらの意見を持つかは個人の自由だが、それを押し付ける必要も説得する必要もないと思うのだけれど。

考えたこともなかったけれど、節電に関して調べてるときに、あー言われてみると、と思ったのは自動販売機の消費電力。24時間照明ついているし、冷蔵も暖房も動いているし、それは電気食うよな、と。それがこの「自動販売機の消費電力と電気代」という記事にあるような情報。

あと、都合良く解釈した情報として、独立行政法人 放射線医学総合研究所の平成17年8月11日のプレスリリース「ビール成分に放射線防護効果を確認 放医研・東京理科大の研究チームがヒトの血液細胞とマウス実験で実証 放射線防護効果は最大34%にも」とか。これは仕方がないなー、と都合の良い解釈で何本飲んだことか。でも、そういう小さなことだけど、いつもの生活リズムを保つことが自分にとっても経済にとっても重要なんだと思うけれど。

とにかく今は、この地震・津波にあった多くの地域の復興と、原発問題の終息、原発問題の被害にあっている地域の復興の全てが少しでも早く叶うことを願うばかり。


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