11月のことだが、使っているiPhoneが7GBの通信制限にひっかかり、月末まで128kbpsという通信速度の中での生活を余儀なくされた。しかも割と月の序盤の11月13日に6GBを超え、11月19日に7GBに到達。そこから月の1/3を低速のインターネット環境で過ごすという経験をした。

そもそも、この通信制限はテザリングを多用する人による帯域の圧迫を軽減するための措置のはず。だが自分の場合、年に数回程度しかテザリングは使わないし、こと11月に関しては全く使っていない。じゃ、なぜそんなことになったのか?というところだけど、実はちょうどこの頃TEDのムービーを英語の勉強に使おうと思い「TEDiSUB」というアプリを使ってiPhoneにムービーのダウンロードを繰り返していた。最初は自宅のWiFiでやっていたのだが、LTEの方が速いことに気が付きLTEでやるようになったことが原因。まぁ、正直なところ、auに機種変更して1年、7GBの制限があること自体忘れていたけど。

そんなわけで128kbpsの世界。一番感じたことは、当たり前のように意識することもなく日々インターネットを使っていたということ。仕事中であっても、プライベートであっても、ちょっと気になることがあればすぐに検索するのが当たり前になっていたのに、そのレスポンスが返ってこないというのは衝撃ですらあった。待つことのストレスよりも、依存している自分に驚くばかりで、分かっているのに「あ、また検索しちゃった。制限中だったな」って。こんなにも無意識で使っているとは。

もう一つ気が付いたことは、キャッシュや読み込みの方法を工夫して少しでも軽く感じさせようとしているアプリと、そのままダイレクトに読み込むことしか考えていないアプリがあるということ。128kbpsの世界であっても、あまりストレスを感じることなく使えているアプリがいくつかあり、良い印象を受けた。

しかし一昔前では当たり前だった速度のレベルなんだけど、今は堪え難く感じるとは。ITの世界の進歩には止まったり少し戻ったりする発想がない。少しでも戻ろうものなら見事に実用性を剥奪される。少し前はこの速度でも閲覧に支障のないWEBサイトも多かったが、今ではこの速度では満足に表示できるサイトの方が少なかった。コンテンツもある程度の回線速度ありきで構築されているんだろうし、もしかしたら作っているエンジニアたちの中には速度が遅い時代を知らない人だっているのかもしれない。

いずれにしても、iPhoneを初めて手にしたときに「これは生活が変わる」と確信し、実際インターネットへの依存率はかなり高くなった。それまでPCでしていたことの多くがモバイルの中で、それもストレスのないスピードで出来るようになった。いつの間にかインターネットありきの生活になっていた。

年に一度高知に行くとそのことを決まって痛感するが、東京に戻るとすぐに当たり前の依存率に戻ってしまう。そういう意味では7GBの制限によって、時期外れに依存率の高さを再認識出来たのは良かったかもしれない。もう少し実世界に目を向けるべきなのかもしれない。電車で本を読んで過ごすのも悪くないかもしれない。(早々に諦めたおかげで11月は積読の消化が進んだ)

インターネットへ依存している時間の使い方、生活のスタイルを見直すときなのかもしれないね。


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