150719

東野圭吾の作品「天空の蜂」が今年映画化されることを本屋でたまたま見かけたこの本の帯で知った。意外と言うか、今上映化するんだ?という感覚になったので、少しだけそのことを。

「天空の蜂」を初めて読んだのは15年くらい前、学生時代のことで、発売が1995年だから発売の5年後くらい。そのときはまだ東野圭吾の作品は読んだことはなくて、この本についてもたまたま聴いていたFM802の中で「この本を読み始めたらほぼ徹夜で読み続けてしまった」と紹介されたことで興味を持ち買いに行った。だから自分が読んだ東野作品はこれが最初。ここから東野圭吾の作品に入る人はかなりレアなんじゃないかと思う。

東野圭吾の作品では「白夜光」に次ぐくらい分厚さ(当時)で、本屋で手に取ったときに文庫なのに分厚くて持ち歩きにくいなと思ったことを覚えている。しかし、そんなことは関係なく、とにかくこの作品にはまり、本当に一気に読みきってしまった。その後暫く本屋にある東野作品を順番に読んでいった。結局、そのとき売られている作品はほぼ読んだはずだけど「天空の蜂」を超える作品がなかったので、次第に彼の作品は読まなくなっていった。(後に読んだ作品では映画化された「容疑者Xの献身」は面白かった)

さて「天空の蜂」についてのAmazonの内容紹介は以下の通り。

奪取された超大型特殊ヘリコプターには爆薬が満載されていた。無人操縦でホバリングしているのは、稼働中の原子力発電所の真上。日本国民すべてを人質にしたテロリストの脅迫に対し、政府が下した非情の決断とは。そしてヘリの燃料が尽きるとき……。驚愕のクライシス、圧倒的な緊追感で魅了する傑作サスペンス。

この作品は原発が題材に使われている。2011年より前の日本と後の日本で大きく変わったことの1つがまさに原発への意識だと思う。2011年より前の日本では原発の安全神話が多くの国民の心の中のどこかにあり、何かあったら・・・と思ったとしても、多くの人は、いや何も起きないだろう、と思っていたと思う。

実際、この作品もしっかり調べたり現場で取材して細かく書き上げているはずだが、やはりどこかで神話の上にたっている気がする。それは作者も取材先の電力会社もそうだったからだと思う。ただ、今だからそう感じるわけで、当時としてはそこのリスクを評価したという点や、都市部が何故電気を使えているのかという点を記していることからも良作なのではないかと思う。このリスクや現状はもっと知れ渡るべきだと感じたことは覚えている。

そんなわけで、初めて読んだときからこの作品は映像化に向いていると思っていた。以前も書いたが最近は東野圭吾にしても他の人気作家にしても、映像化を想定もしくは予定(?)して書いているんじゃないか?と思う作品が増えて残念な気持ちになることがある。その点この作品は本人が売れる前ということもあり(だからこそ書けたのかもしれないが)、映像化したいという思いは感じない。だからか、テーマがそうだからか分からないが、逆に映像化することで良さがさらに出る可能性を持っていると感じた。

しかし2011年に日本は神話と現実の違いを目の当たりにし、それ故にこの作品の映像化ももうないだろうな、と思った。作品自体、本屋からなくなってもおかしくないとさえ思った。だから今このタイミングで映画化されることに驚いたのである。神話の上に立てなくなった今、どう映像化するのか気になるところ。

しかし、堤監督によってどう描かれるかはまだ分からない。原作に忠実にやったしても「リスクの再認識」になるのか「やっぱり大丈夫だね」になってしまうのか。受け手によって違う気がする。

それでもこの作品を今やることは原発再稼働が現実味を帯びている中で、改めて原発の在り方を考えるきっかけを与える役目はあるのかもしれない。

映像化が向いていると書いていて矛盾するようだが、それでもまずは書籍の「天空の蜂」から読んで欲しいと思う。映画を観るのはきっとそれからでも良いと思う。自分も10年以上読んでいないので、久々に今の気持ちでどう感じるか読み直そうかな、と思う。


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